Nao • 6月 12, 2016碑文⇒『山手公園は1870年(明治3年)横浜の居留地外国人のレクリエーションの場としてつくられた。1878年レディースローンテニスアンドクロッケークラブ、現在の横浜インターナショナルテニスクラブがこの地に5面のテニスコートを建設した。この地は日本のテニス発祥の地とされている。 昭和53年10月15日横浜インターナショナルテニスクラブ』
Nao • 5月 4, 2015横浜市開港記念会館の前に、岡倉天心生誕之地の碑と並んでこの碑が建っています。この場所に「町会所」が建てられたのは1874(明治7)年。町会所の建物は1923年の関東大震災で焼失。現在建っている横浜市開港記念会館は1927(昭和2)年に再建。現在は国の重要文化財に指定されている.
TT _. • 12月 9, 2021明治6年4月30日暴風雨で天皇自らも全身ずぶぬれになる中、篠原少将が指揮をとり見事な奮戦ぶりを示した。その後、天皇が彼を近くに召し、篠原に習えという意味から習篠原が習志野原に「今日よりこの地を習志野原と名づけ、操練場と定む」と褒めたたえたのが習志野の地名の由来といわれている。この地は現在は船橋市。
yas • 10月 30, 2012♪かもめの水兵さん、ならんだ水兵さん・・・♪で知られる童謡の碑です。かもめの水兵さんは1937年(昭和12年)に発表された日本の童謡で作詞は武内俊子、作曲は川村光陽です。武内さんが作詞を行ったきっかけは、ハワイに旅行する叔父を見送るために横浜港の大さん橋に行って、夕暮れの中で数十羽のかもめに魅了され、帰途でかもめの白い姿を水兵に見立てて詞を完成させましたとのことです。
Nao • 5月 17, 2015碑文の左に、当時の発電機としてエジソン式直流発電機が描かれています。碑文⇒『明治23年10月(1890年) 横濱共同電燈會社が、この地に火力発電所を建設し、神奈川県で初めての電力供給を開始しました。 当時の発電所は出力100キロワットの石炭火力で、お客さまは約700軒でした』
Massara Nati …. • 1月 21, 2016「我が国ダイナマイト発祥の地 碑」...この碑が立つ「群馬の森」は旧東京第二陸軍造兵廠 岩鼻製作所があった場所で、ダイナマイトをはじめとする各種火薬を製造していたそうです。碑文によると明治13年に陸軍岩鼻火薬製造所の建設に着手、明治38年にはダイナマイトの製造を開始したようです。現在群馬の森の北側は日本原子力研究開発機構、南側には日本化薬の工場となっています。
Nao • 11月 19, 2017弘明寺観音から観音通り商店街を抜けて弘明寺交差点前・横浜国立大学教育学部付属中学校の前にこの石碑は建っています。横国大工学部の発祥は大正9年(1920)のこと。石柱の上部が斜めに切り落とされたような形をしています。
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